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zoom RSS 連絡 7/20 ランチは回鍋肉

<<   作成日時 : 2017/07/20 09:07   >>

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お早うございます。今朝は曇り。28度。昨日関東は梅雨明け宣言。局地
的集中豪雨がありましたが、比較的雨の少ない梅雨でしたね。あまりお気
に入りの傘の出番がありませんでした。昨日は朝から千葉でお仕事。上海
で知り合った友人会社に行ってたのですが、そこにひょっこり税理士の先
生が決算処理の支援でお見えになりました。これが偶然ですが前の会社の
友人でした。今でも半年に1度位会ってますが、まるで関係が無いような
中での偶然の繋がりでした。世の中って狭いですね。帰りが昼になったの
で近くの中華で回鍋肉ランチ680円(税抜き)。ボリューム満点で半分は
同行者の方に食べてもらいました。アイスコーヒーも付いて安かったです。
小さな幸せを見つけましょう。明るく楽しく健やかに素敵な一日をお過ご
し下さい。今日は錦糸町から秋葉原を回ってきます。
今日は夏の土用入り、海の記念日、恐山大祭、山口祇園祭、大国魂神社の
すもも祭、津和野の鷺舞、少年を非行から守る日。緒方拳、ナタリー・ウ
ッド、間寛平、松坂慶子、鈴木聖美、石橋凌、小川範子、佐野泰臣、小井
紗陽の誕生日。1948年国民の祝日に関する法律が制定、1971年マクドナ
ルド日本1号店開店る
★ブレイクタイム★
●「不器用なことはありますか?」
不器用な自分がキライだった私が、「不器用でよかった・・・」と思うの
が、仕事をしているときで、もし自分が器用で、なんでもパパっとできる
人間だったしたら、不器用な人が利用するIT機器を販売することなどで
きなかっただろうな・・・と。「なんでそんな簡単なことができないの?」
と。自分が不器用だからこそ、同じく不器用な人がつまづく所が、時に痛
いほどよく分かるわけです。
今でこそ「不器用でよかった」と思いますが、この仕事するまでは、不器
用な自分が大キライで、祖父や父親は手先が器用で祖父は京都で木工細工
の職人でしたし、父親は自分で箪笥を作ったりしてました。趣味でですよ。
私は手元が不器用で足元にも及びません。なんでも自分でやろうとしてど
れも不器用なりにそこそこできるようになりましたが、結果的に何の取り
柄もない「器用貧乏」になっていました。
器用貧乏って、目先のことは小器用にこなすけれど、要は「生き方が不器
用」だということですね。
当時は、自分の不器用さがキライで、できるだけそれがバレないように隠
していましたし、自分の不得意を無くすのに必死でした。
でも、どれだけ頑張ったとしても不得意を全て無くせるわけでもなく、隠
そうとするほど不器用さのボロも出て、うまくいかないことがあると、
「なんで自分はダメなんだろう・・・」と、よく自己嫌悪に陥ってました。
自分が好きになれず「自分をゆるせない」状態でしたね。
ところが、仕事を始めて「不器用さが武器になる」と気づいてから、人に
任せて済むことであれば、無理に不得意なことを頑張ろうとしなくなりま
したし、自分のダメなところを人に見られることがそれほど怖くなくなっ
て、不器用な自分をゆるせるようになりました。
自分をゆるせるようになると、ものすごくラクになりました。
自分の得意なこと、やりたいことに集中して取り組めますし、失敗しても
自己嫌悪に陥ることが少なくなり、むしろ失敗をネタや経験の糧にできる
ようになりました。
不器用な人間が、どれだけ頑張っても、「器用さ」では、器用な人に勝て
ませんが、器用な人の背中を無理に追いかけなくても、「不器用さが武器
になる」と感じています。不器用人間には、不器用なりの生き方があると。
あなたは、器用でしょうか、それとも不器用でしょうか?
もし不器用なら、どんな「不器用さの武器」をお持ちでしょうか?
●神社本庁の「政治力」と「資金力」、不気味がるほどではなかった!
不可解な不動産取引に揺れる神社本庁だが、一心同体ともいうべき政治団
体「神道政治連盟」が安倍政権と近く、大きな政治力を及ぼしているとみ
られている。また全国8万社の神社を束ねているだけに、その資金力も恐
れられている。その実態に迫る。
昨年の正月。初詣で賑わう各地の神社で、“不穏”な動きが表面化した。
参拝客でごった返していた都内のある神社では、境内に「誇りある日本を
めざして」「憲法は私たちのもの」と書かれたのぼりが掲げられ、近くに
設置されたテントには、「国民の手でつくろう美しい日本の憲法」「ただ
いま、1000万人賛同者を募集しています。ご協力下さい」なる文言が書か
れたポスターとA4の署名用紙、それを入れる箱が置かれていたのだ。
じつは、こうした神社はここだけではなかった。というのも、東京都の神
社をまとめる「神社庁」が、各神社で憲法改正に賛同の署名活動を行うよ
う指示していたからだ。
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なぜ神社庁が支持を出し、神社が署名活動を行ったのか。
実は、全国8万社の神社を管理・指導する神社界の“中枢”であり“総元
締め”でもある「神社本庁」、そしてその地方機関である神社庁は、「神
道政治連盟(神政連)」という政治団体と関係が深い。
神政連は、「神道精神を国政の基礎に」を合言葉に、神社界を母体として
1969年に設立された政治団体。本部は神社本庁内にあり、役職員には神社
本庁の評議員らが名を連ねていることから見ても、神社本庁や神社庁と神
政連は“一心同体”の組織。そこで、以下では神政連の動きを通し、神社
界と政治の“距離”について見ていこう。
★安倍政権の応援団でも集票力は皆無の神政連
神政連は、自民党、引いては安倍政権との関係の深さが、かねてから指摘
されている。
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神政連の活動を支持する議員連盟として「神道政治連盟国会議員懇話会」
という組織があるが、2017年6月20日時点で、自民党を中心に衆議院議
員228人、参議院議員81人の合計309人の国会議員が所属している。
しかも、第三次安倍政権の現閣僚20人の内、公明党出身の石井啓一国土
交通大臣を除いた19人全員が懇談会のメンバー(下図参照)。その懇談
会の会長は、安倍晋三首相が務めているからだ。
そんな安倍首相の悲願は憲法改正。思いを同じくする神政連も、日本最大
の保守組織「日本会議」とともに政権を支える保守勢力として影響力を発
揮するチャンス。そこで神政連が神社庁に働きかけ、署名活動という“行
動”に出たというわけだ。
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こうした動きを捉えて、「すわ、国家神道の復活か」などと危ぶむ声も一
部で上がるが、そこまではいかなくても、神社界と安倍政権との距離の近
さに、どこか不気味さを感じる方も少なくないだろう。
ところが、である。「今や神政連は、政治に対してたいした影響力がある
わけではない」と神社本庁関係者は口を揃える。
事実、今回の署名活動も、日本会議から指示されるがままで、それに従っ
ただけ。以前は神政連の方が勢力を誇っていたにもかかわらずだ。
01年の参議院選挙でもこんなことがあった。神政連は、自民党公認候補
として比例区から出馬した有村治子氏を支援していたのだが、得票数が少
なくて苦しみ、当選確実の報が明け方まで出なかった。最終的には当選し
たが、蓋を開けてみれば、神社は全国津々浦々にあるにもかかわらず、票
が入っていない地域が少なからずあったというのである。
★パワーなくても政治家が頼るのは地域の祭りに出られるから
戦後の混乱期以降、神政連は陰になり日向になって政治への働きかけを行
い、「元号法制定」「剣璽御動座(けんじごどうざ・天皇が行幸する際に、
剣と勾玉を携えて移動し、滞在先に奉安すること)の復活」「紀元節の復
活」など、数々の“華華しい”成果を収めてきた。
それが今では、「見る影もない。昔は、政治に対する影響力も大きかった
が、今や集票力は無きに等しく、影響力も日本会議とは比べものにならな
いほど小さくなった」と神社関係者は語る。
そればかりか、6月19日まで開かれていた国会では、天皇の退位をめぐる
皇室典範に関する議論がなされるなど、神社界にとっては“一大事”だっ
た。
にもかかわらず、今特集「瓦解する神社」第1回の記事(「神社本庁で不
可解な不動産取引、刑事告訴も飛び出す大騒動勃発」)で報じたような不
動産取引をめぐるドタバタで組織が混乱、なんら行動を起こすことができ
なかった。
こうした神政連の姿を見て、「神社側もついてこなくなった」と、この関
係者は明かす。
「神社の神主たちも世代交代が進んでしまった。そのため、新憲法の制定
や、皇室と日本の文化伝統を大切にする社会作り、靖国の英霊に対する国
家儀礼の確立といった、神政連が掲げてきた目標に関心がなくなっており、
積極的な活動もしなくなっている」(神社本庁関係者) 
しかし、このようにすっかり力を失いつつある神政連に対し、国会議員た
ちはなぜ懇談会のメンバーになってまで支持を仰ぐのか。
「議員たちは票がほしいというよりは、神社が主催する地元の“祭り”が
狙い。地方では、いまだ多くの人が集まるため、祭りは有権者の前で演説
できる絶好のチャンス。その機会を得るために懇談会のメンバーになって
いるだけで、神社本庁や神政連に対する忠誠心など何もない」と神社本庁
関係者は明かすのだ。
★神宮大麻というお札の頒布で神社に厳しい“ノルマ”
ここまでは、神社界と政治の距離を見てきた。それでは、神社本庁のカネ
はどうなのであろうか。
「最近、頒布が減少しているぞ。式年遷宮を目指してとにかく増やせ!」
今から5〜6年前のこと。全国各地の神社に対し、一斉にこんな “げき”
が飛ばされた。発信源は神社本庁だ。
神社本庁が増やせと命じていたのは「神宮大麻」の頒布数だ。神宮大麻と
は、簡単に言えば、神社界のピラミッドの頂点に立つ伊勢神宮が配る「天
照皇大神宮」と書かれた「お札」のこと。各家庭の神棚にまつり、日々、
祈りを捧げれば、遠くからでもお伊勢さん(伊勢神宮)のご加護を授かる
ことができるというものだ。
この神宮大麻は、その大きさによって大・中・小とあるが、小で1体800
円。全国の神社は、これを氏子などに販売し、最大の“収益源”として
いるのだ。
神社本庁は、バブル時代、この神宮大麻の帆布数を「1000万体まで増や
す」との目標を掲げ、全国の神社に厳しい“ノルマ”を課していたが、バ
ブルの崩壊によりその数は減少の一途をたどっていた。
しかし当時、20年に一度、社殿を新たに造営し、旧殿から神体を移す伊勢
神宮の「式年遷宮」という神社界最大のイベントを控えており、神社本庁
はその費用を賄う必要に迫られていた。そのため傘下の神社に対し、げき
を飛ばしていたというわけだ。
左図を見ていただきたい。これは、神宮大麻をめぐるカネの流れを簡単に
まとめたものだ。
まず、神社は氏子などに神宮大麻を“販売”。その“売り上げ”を、都道
府県の「神社庁」に“上納”する。その後、各神社庁は神宮大麻の“発行
元”である伊勢神宮に“上納”、伊勢神宮は半分程度を懐に入れた後、「
本宗交付金」として神社本庁に渡すという形だ。2014年度の決算資料によ
れば、その金額は32億8450万円、神社本庁の歳入のじつに67.3%を占め
る。しかし、ここから神宮大麻をめぐるカネは不思議な流れをたどる。神
社本庁に集められたカネは、数%上乗せされ(14年度決算書では34億
7530万円)、都道府県神社庁、各神社へと戻されていくのだ。
つまり、神社が販売した神宮大麻1の売り上げは、いったん、都道府県の
神社庁→伊勢神宮→神社本庁と吸い上げられた後、再び神社へと戻されて
いるわけだ。どうしてこんな面倒なことをするのか。
「税務当局から、神社が売り上げをそのまま手にすれば、神社は伊勢神宮
の『代理店』に該当し、売り上げは手数料収入となって課税対象となると
指摘された。そのため、いったん神社本庁に集め、交付金として神社に交
付する形がとられるようになった」と神社本庁の関係者は解説する。
こうした流れをたどるため、「歳入の7割近いカネは、神社に“還付”さ
れ神社本庁には残らない。頒布してもらうための“助成金”も出している
から、正確に言えばマイナスだ。だから、一般会計の歳入は48億7899万
円となっているが、実際の収入は、寄付金や神職の資格試験などで得られ
る手数料など16億円程度に過ぎず、ある意味“自転車操業”的な運営だ」
と神社本庁関係者は自嘲気味に言う。
ちなみに、職員の給料もさして高くないようだ。ある40代の職員の場合、
基本給は40万円程度。それに住宅手当や月に一度の宿直手当などがわず
かに加算される。ボーナスは年間で「200万円くらい」(職員)だという。
★全国8万社を束ねている割に資産は94億円程度しかない
そもそも、全国8万社の神社を束ねているわりには、神社本庁にそこまで
の資産がない。下図を見ていただきたい。これは、14年度の決算資料を基
にまとめた神社本庁の主な資産だ。
宗教法人神社本庁のベースとなる「基本財産」として最も大きいものは、
神社本庁の境内地と建物。それ以外は、職員が住む職舎と現預金くらいで、
合わせても43億3185万円に過ぎない。このうち、百合丘職舎は、前回記
事「神社本庁で不可解な不動産取引、刑事告訴も飛び出す大騒動勃発」で
紹介したように、すでに売却されているから、今は40億円にも満たない
金額となる(金額はいずれも簿価)。
これに、以前、皇室と関係を維持するために使われていた資金がそのまま
残っている「特殊財産」が1億8276万円、そして宗教法人として行う通
常の活動費用に充当する「普通財産」が48億6182万円で、神社本庁の
「正味財産」は93億7644万円程度なのだ。
少し話がそれるが、普通財産の中には、歴史教科書を出版している教科書
会社の株式や、「運用のことなど分からない担当者が、証券会社からうま
い話を持ち掛けられて買ってしまい、後に大きな損失を出して内部で問題
となった」(神社本庁関係者)エルピーダメモリの社債なども含まれてい
るのは興味深い。
こうして見ていくと、神社本庁には「政治力」「資金力」ともに恐れるほ
どのものはないことが分かる。それでも世間から不気味がられるのは、「
外からその内情をうかがい知ることができないから」に尽きるのではない
か。だが、現在の神社本庁には問題が山積し、組織がぐらついている。現
執行部は、それを押さえつけようと強権を発動し、多方面から批判や不満
が吹き出している。次回、その詳細についてお伝えする。
●西陣の七夕
笹の葉サラサラ 軒端に揺れる・・・願いは一つわれらが平安
五節句のひとつである七夕(しちせき)を「たなばた」と呼び習わしている
のは、「棚織(たなばた)」の音が七夕(たなばた)転じたもののようだ。
日本古来の棚織津女(たなばたつめ)の伝説と、奈良時代に中国より伝来
した節供「乞功奠(きっこうてん/芸能の上達を祈る行事)」が習合して、
日本独自の七夕まつりに発展し民間信仰として定着した。
神の依り代となる笹竹を立て、五色の短冊を結び付け、願い事を叶えて貰
えるように祈る形は、それらの名残である。
笹の葉サラサラ 軒端に揺れる お星さまキラキラ 金銀砂子
五色の短冊 わたしが書いた お星さまキラキラ 空から見てる
これ以上口ずさめないが、幼い頃の「七夕さま」の歌を思い出す。
鼻歌に誘われ久々に七夕飾りが見たくなり、京都市内の神社で執り行わ
れている七夕祭に出かけることにした。
元来棚織祭と書かれていただけあって、信仰が篤かったのだろうか、機織
の町であった西陣にある神社が執り行っていた。
まずは、北野天満宮に向かった。
天神さんの七夕の神事は「御手洗祭」と称され、氏子町の人たちは「天神
さんの七夕」と呼んでいる。
今出川の鳥居をくぐり抜け参道を進むと、右前方の中ノ森広場に七夕飾り
の青竹で囲われた祭壇が設えられていた。
折紙や、五色の短冊で色派手やかに飾りつけられた青竹が風に揺らいでい
る。機織りの祖神である天棚機姫神(あめのたなばたひめのかみ)を祀る
祭であることが、祭壇の様子から分かる。北野の天神さんは七夕の節句に
無病息災と手芸文芸上達を祈念するのである。
本殿に向かう途中、「かささぎ」の歌が、楼門にかけられていた。
「彦星の ゆきあひを待つ かささぎの 渡せる橋を 我にかさなむ」
祭神菅原道真公が詠まれた「かささぎ」は、新古今和歌集巻一八集にある
歌である。本殿では、神前に菅公の御遺愛と伝わる「松風の硯」をはじめ、
角盥(つのだらい)・水差し・短冊の代わりに用いられたという梶の葉・
ナス・キュウリ・マクワ等の夏野菜・素麺・御手洗団子が供えられ、祭典
が執り行われるところであった。
祝詞奏上が終えたところで、三光門をあとにした。
午後4時前頃、「精大明神祭」にやってくると蹴鞠の奉納が行われていた。
精大明神は、和歌・蹴鞠上達の守護神、七夕の神と伝承されており、白峯
神宮境内の地主社である。
神楽殿の東にある地主社神殿にお参りした。
拝所に立つとその供物に目を奪われ、拝礼を静止させられてしまった。
赤・黄・白・青・黒の五色の糸が巻かれた糸巻きがある。紫や緑の糸の巻
かれた糸巻きもあり、傍に手機のようなものも置かれている。暫く他の供
物が目に入らなかった。まるで釘付けにされた状態である。
というのは、神の降臨を待って棚織津女が神に送る衣を織る伝説と、見た
ことのない乞巧奠の宴の情景が過ぎったからである。
琴や琵琶などの管弦楽器に五色の布や糸や針が並べられ、花瓶には秋の七
草が生けられ、角盥(つのだらい)には梶の葉を浮かべた水が張られ、星
を映して眺めている様子がスローモーションで浮かんできたのである。
隣の人の拍手(かしわで)を打つ音で我に還り、慌てて拝礼、参拝を済ませ
た。振り返ると、そこに織姫(織女)と彦星(牽牛)がいるではないか。
我が目を疑ったが夢ではなかった。
精大明神祭の七夕小町踊り奉告祭のあと、前述の織姫と彦星は、五色の錦
糸を巻いた糸巻きを持って、神楽殿にて織姫舞を披露してくれた。どうや
ら、氏子の中学生のようである。
神職に案内され奉告祭の席に着座するところであったのだ。
京都の七夕は地味なものとばかり決め込んでいたが、祇園祭の間に、西陣
では粛々と七夕祭を執り行っていたのである。
境内に大笹竹の七夕飾りを設え、織姫と彦星の「織姫舞」や「七夕小町踊
り」が奉納された。
江戸時代徳川家光の上洛のとき(1634年)に始まった小町踊りなのだが、
昭和37年に七夕小町踊りとして、白峯神宮精大明神祭で復活されたもの(
振付/茂山千五郎 考証/吉川観方)と聞いている。
30万7000人の供奉者(ぐぶしゃ)を引き連れて上洛した家光を、町娘たち
の歓迎の踊りで迎えようと、七夕の夜に京中を踊りまわしたのが「小町
踊り」である。
その後も盛んに京の町で踊られ、元禄期のそれは宮崎友禅斎の特色ある流
行の友禅染の着物を着て、片袖を脱ぎおろし、太鼓を打ち鳴らし踊るもの
であったようだ。
そのルーツを持つ「七夕小町踊り」は、元禄時代の頃、宮中の行事「乞功
奠」の折、貴族が詠んだ和歌を御所へ供え物として届ける際、文使いのお
供をした娘たちが道中で歌い練り舞った踊りが起源だと神職からうかがっ
た。西陣の乙女たちは、きっと技能・芸能の上達を祈って練り踊っていた
に違いない。
その故事に因んで、白峯神宮では、華やかに着飾った氏子の幼稚園、小学
生により大笹竹の七夕飾りを囲んで毎年奉納されている。
七夕小町踊りの乙女達のいでたちはというと、紫の鉢巻に桔梗の銀カンザ
シ、緋の襦袢を片袖脱ぎに見せ金襴のタスキと帯、そして赤いしごきを為
した振袖姿である。
左手に太鼓、右手にバチを打ちかざし、盆踊りのように笹飾りの周りを何
周もシナをつくり踊っている。あどけない表情であでやかに踊る、その風
流な姿にゆるりとした時間が流れた。
西陣紫野の今宮神社の末社に織姫神社があるという。
祭神栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)を祀り、8月7日に七夕祭
が行われると聞いた。
表通りでは機織の音が聞こえなくなった西陣の町だが、路地奥からの音を
聞くことがある。今も棚織津女の伝説が生きているようである。
あめのたなばたひめのかみ, きっこうてん, しちせき, たくはたちぢひめ
のみこと, たなばた, 七夕, 七夕小町踊り, 乞功奠, 今宮神社末社織姫神
社, 北野天満宮, 天棚機姫神, 御手洗祭, 栲幡千千姫命, 棚織, 精大明神
祭, 蹴鞠の奉納


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